内容紹介
「夜中の3時だった。僕はもう見ていられなかった。
もうこれは無理だ。奈緒の夫として、奈緒はもうこんなに苦しまなくていい。
そして、息子の父親として、ママのこの姿はもう見せたくない。
もう、十分に頑張った。頑張ったから奈緒は・・・
僕は先生を呼んだ」番組のスタイリストとしてサポートしてくれていた奈緒さんとの結婚から、
妊娠中の乳がん発覚、その後の出産、闘病、そして最後の日々までが、
悲しみと悔恨を込めて驚くほど克明に記されています。
当たり前の日常が失われていくリアルな記述に「涙で何度も中断した」
「自分も妻にちゃんと向き合おうと思った」といった声が数多く寄せられています。
ブログの更新は、長男にDVDやテレビを見せ、次男に授乳をさせながらしています。
長男もそうでしたが、次男はこちらが引き離すまでおっぱいを離すことはないので、パソコンの操作中ずっと授乳しています。
本は、子どもを寝かしつけた後、一人リビングで読んでいます。
子が起きて読書が中断された日は、その日は諦めてそのまま一緒に寝ます。
しかし、こちらの本は読みだしたら続きが気になって、子が泣いても寝かしつけてからリビングへ戻って再度読み、それでもまた泣かれて3度目にやっと諦め、昨日は日中も読んで完読しました。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら
以下は、ネタバレになります。
これから読まれる方はここでお別れの方がいいかもしれません。
筆者の清水健さんはニュースキャスターとのことですが、関東では馴染みが薄いように思います。
奥様は妊娠中に癌が見つかった。
妊娠を諦めて治療に専念することを勧められたが、奥様の強い希望で癌の摘出手術を受けたあと、妊娠中でもできる治療は並行して受け、出産後本格的に治療を始めた。
癌には進行度合いを判別する「ステージ分類」の他に、癌細胞の危険度を表す「悪性度」が目安になります。
私は乳がんではないので詳しくは分かりませんが、筆者の奥様はリンパ転移が無かったので「ステージ分類」はそう高くない、しかし「悪性度」は極めて高い癌だったのだと思われます。
出産と大仕事に耐えた人間が、わずか4か月足らずでこの世を去ることになるとは誰が予想したでしょうか。
筆者は、奥様に病状を伝えることができなかったと言うが、奥様は闘病生活の中で筆者に病名・病状を聞くこともなく、病院側の人間に問いただすこともなかったそうだ。
信じられない。
夫を信じているからできるのだろうか。
私がその立場になったら、自分の病気は絶対に知りたい。
しかし、私が自分の病気を知りたがるのが主人を信じていないからだろうか。
病状を聞いたところで、本当のことを教えてもらえないだろうと夫に聞かなかったのか。
病院の人間にも、言葉を濁らせるだけだろうと聞かなかったのだろうか。
医師から病状説明で名前を呼ばれば時、本人よりも筆者が先に先生からの話を聞いたそうだ。
ただ黙って、夫の指示に従い笑顔で治療を続けるなんて、私にはできない。
筆者の前で涙を見せなかった奥様が、亡くなる前、言葉にならない声で泣きながら筆者に話しかけたそうだ。
何を言っていたのか分からない、一生答えは出ないだろうとの事。
それまでの言動から、筆者に対しての感謝や、息子の成長を願う言葉ではなかったかと思う。
奥様は、最期まで治そうという希望を捨てず、緩和ケアではなく治療にこだわり病気と闘った。
最期の言葉は、治療から緩和ケアに切り替えていればきちんと聞くことができたかもしれない。
しかし、それは筆者の言う夫婦の「カタチ」であり、正解は無い。
涙ながらの奥様の最期の言葉を聞き取ることができなかったのは心残りだろうが、筆者も奥様も十分すぎるほど頑張った。
筆者は、奥様に
「もし、奈緒(奥様)が再発しちゃったら、子どもはオレひとりで育てなくちゃいけないんだよね」と言ったことを後悔していた。
別の闘病記で、「がん治療って、出口の見えないトンネルだね」と言ったことを後悔している人もいた。
しかし、そんなのは誰しもが感じ、思うことであって、それを言ったことが闘病者の生きる活力を奪ったというのは考えすぎだ。
何より奥様がもっと生きたかったはずだ。
子どもの成長を感じたかったはずだ。
しかし、長く生きたから幸せということではない。
奥様は、大切な人に囲まれ幸せな人生だったと思う。
私も、理不尽で困難な状況になっても、彼女のように人の幸せを願い、笑顔でいられるような人間になりたい。